9.安芸郡・賀茂郡の郡境

賀茂郡と安芸郡の境は、峠の頂上からはかなり西によっていて、地図上でみると約700mは離れているようだ。また、郡境の線も複雑に折れ曲がっている。山中に八本松町を飛び越えて西条町寺家の所有林が飛び地であるなど、昔、山争いの絶えな

かった所とも云われていたことも、何らかの影響があったのかも知れない。狭い道を進むと「大山鍛冶の墓」と伝えられる古びた「五輪の塔」がある。街道の左の藪の中ヲ約30m登ると小高いところに五輪の塔や墓石の残片が散乱している。「川上村史によると」「大山鍛冶の祖は筑前博多の刀工左の一派

の守安という人で建武年間≪1334~38≫年にここに土着したのが初め」といわれている。昭和20年ごろまではその屋敷跡があったらしい。が水害で流されてしまった。復、ここには「関の清水」と呼ばれる名水も湧き出ていてこれが刀鍛冶として土着した理由の一つになったとも伝えられているが、今はその

跡も見つからない。大山鍛冶は八代続いたがこの場所は初代のみが使用し、二代目から下大山に移り住んだと言われている。

大山峠は標高607mの曽場ゲ城北側の山中の峠道で標高300mを超す難所が続いている。足利市の家臣今川了俊(貞世)は、応安四年(1371)430日に九州探題として赴く途中にこの大山峠を越えているが「道ゆきぶり」に、「葉月晦日大山という山路こえ侍るに、紅葉かづかづ色づきてははそ柏などうつろいたり、日影だにもらぬ山中に谷川こなたかなたに流れめぐりて岩たたく音心すずし、ふし木などのよこたわりつつ谷深き上をさながらふちにす

る所も侍る、、、、略」ここから山道を道なりに進むしばらく進むと安芸郡と賀茂郡との郡境にかかる。「旧山陽道賀茂安芸郡境」の石碑がぽつんと立ってい

る。藩主の往来にさいしては,郡役人がここで出迎え、見送りをしていたようだ。「通称お迎えの場」いう。