8.初代大山鍛冶場跡と初代墓所

さらに西に約300m下ると右側に「大山鍛冶之の石碑が建つ。傍らに「伝大山刀鍛冶墓」の説明版があり、ここに大山刀鍛冶の屋敷があったことを伝える。右側約30mの小高い所に崩れかけて幾度か修復された五輪塔がある。

筑前博多の刀工の流れを汲む大山刀鍛冶の初代守安(建武年間(1334~38)の墓とも伝えられるが真偽の程は定かでない。なお、二代目以降は山を下りて下大山部落に定着した。かっては、この場所にも湧き水があり「関の清水」と呼ばれていた。