2.長尾の一里塚

JR八本松駅から西の西国街道は駅構内から線路敷きの一部を通っていた。駅から約500m西で国道二号線を横断し、左側の道に入る。

国道二号線と大山峠に向かう交差点の付近に塚があったと云われる。広島札場より六里、尾道から十三里の一里塚である。中国行程記。

左右の塚松が当時の飯田村と宗吉村とに分かれて植えられており、飯田村側が男松、宗吉村側が女松で、それぞれ一本の幹から四本に枝分かれして四方に枝を張っていた。街道を中にして男松の

枝がことごとく女松の枝の上にもたれかかり、陰陽和合の形として人々の評判になったと云う。このため八本松という地名がつけられたと言われている。

現在藤三スーパーの駐車場の中に写真の一里塚跡の石碑が立っている。「旧山陽道長尾一里塚跡」芸阪通志には、「塚松北飯田村の分男松根一本にて四本に分かれ、南宗吉村の分女松一本にて四本に分かれ、往還を中にて双方より枝行きあいしが、男松の枝ことごとく女松の上に持たれ、陰陽和合の形をあらわし誠に珍しき松に御座候」とある。下調帳にはこの一里塚松を「八本松」と書いている。

文政二年≪1819≫二月宗吉村差し出した国郡志

の下調帳によると、一里塚松

根置き 十四間(25m)25m  ≪十間(18m)石垣。四間(7.2m)土)

高さ   十〇間(十八m)  (七間(13.3m)石垣。三(5.4m)間土。)

馬ふみ 九間(162m)  ((内石垣六間(10.8m)。土の分二間(3.6m))

25m×18m×16,2m「宗吉村分」